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2017.09.05 Tue ***

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そろそろ起き出しましょうか。



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2017.05.06 Sat 名前と言葉と名無しの木のこと。

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つれづれなるままに、
名前と言葉と名無しの木のこと。

我が家の小さな庭では今、一本の木が紫ピンク色の米粒みたいな小さな花をびっしりと咲かせている。枝はもとより幹からもいきなり小さなつぶつぶとした花をつけるこの木は、恐らく庭木というカテゴリーにおいてはBクラスに属するくらいポピュラーだと思われるが、その木の名前をわたしはいまだに知らない。
義母に訊いてみたけれど、その木がどうやって我が家へやってきたのかは憶えているけれど名前は思い出せない、と言う。そんなわけで我が家においては今年も名無しのまま、あの木は鮮やかに花を咲かせている。

花が咲いたということは、いずれ散りゆき、次のサイクルへと繋いでゆくのが生命のルールであり、庭先から道路へと枝を伸ばしている木が花が散らせば庭に面した道路には散った花が散乱するのは当然の成行である。したがってこの時期は特にまめに掃き掃除が必要となり、今朝もこの紫ピンク色の散り花を掃き集めていた。掃き集めながら名前を知りたいという自分の欲求について考えた。
名前は印である。そのものがそれであることを自他ともに同じく認めるための。そしてそのものに親しむため、もっと具体的に言えばそのものに呼びかけるために名前が必要なのだ。わたしたちは言葉と文字を持つ生き物である。身を守るための毛皮や鋭い爪や牙を捨て、言葉という音と形のコミュニケーションを手にした。言葉を発することなくコミュニケーションを行なうことは素晴らしいことだし、時に言葉は事態をややこしくしてしまうこともあるのだけれど、それでもわたしには言葉の存在が欠かせない。言葉はわたしがわたしなりにこの世界と深く関わっていくための素晴らしい道具なのだ。

誰かに、何かに、名前を呼びかける。その瞬間わたしたちだけの関係性が立ち上がる。わたしたちは1人で生きるために生まれてきてはいないと思うから、周囲の世界と関わり合うために生まれてきたと思うから、関わり合うために名前を呼びかけたい。

そんなわけで思い立ったが吉日、庭のあの木の名前を調べてみた。どうやら花蘇芳(ハナズオウ)という名前らしいことがわかった。やはり聞き慣れない名前だったけれど、素敵な響きと形を持っていてうれしくなった。